政治家・岸田文雄の出身校や学歴をまとめた!

偏差値や卒アル画像、在学中のエピソードも徹底調査!

内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、再チャレンジ、科学技術政策)、外務大臣(第143代・第144代)、防衛大臣(第16代)、自民党国会対策委員長(第52代)、自民党たばこ議員連盟副会長を歴任するなど、とにかく幅広いジャンルで仕事をこなし、その間一切問題を起こさず活躍してきた、『最も失言しない政治家』と呼ばれる自由民主党政務調査会長・岸田文雄さん。

そんな彼が一体どんな学校に通い、どんな学生生活を送っていたのか?出身校や学歴、同級生は一体誰だったのかなどをまとめてみました!

岸田文雄の出身小学校は、1校目はニューヨークのパブリックスクール

入学:1963年9月/卒業:1965年3月

同校であることのエビデンス

岸田文雄さんのウィキペディアには次のような記載があります。

学生時代
小学校一年生から三年生まで、父の仕事の関係でアメリカ合衆国・ニューヨークに居住し、現地の公立小学校に通う。

時期も小学校1年生~3年生と集まっている情報と一致します。

Twitterなどにも、岸田文雄さんが小学校低学年まで米パブリックスクールに通っていたことが記載されています。

他にも、中国新聞デジタルの中の『ケーブルテレビのページ』では【ひろしまプラス1】という番組に自民党政務調査会長の岸田文雄さんがご出演された時のお話が掲載されていました。

自民党政調会長を務める岸田さんは、1960年代に過ごした米国で通ったパブリックスクールの体験が自身にモラルと正義感を芽生えさせ、政治家として活動する原点のひとつになっているという。

これだけ情報が集まっているので、岸田文雄さんが小学校1年生~3年生までニューヨークのパブリックスクールにいたことは間違いないでしょう。

岸田文雄のニューヨークの小学校時代のエピソード①、英語はニューヨークが基礎となった!?

A Keynote Address by Fumio Kishida, Minister for Foreign Affairs, Japan - YouTube

出典:YouTube

ドイツ人のチェアマンも岸田文雄さんのスピーチに満足している様子ですね。

↑の動画は岸田文雄さんが英語でスピーチした時のものです。約30分間に渡り、英語がネイティブな世界の人々の前で難しい内容を発信しました。

実は岸田文雄さん、海外にいた経験があるのは小学校1年生~3年生の時にニューヨークにいた時だけなんです。

そのせいで岸田文雄さんは時々『内閣総理大臣を目指す人物としては英語経験が少な過ぎるのでは?』とチクリとされてしまうことがあります。

しかしどうでしょうか?↑の動画を見る限り、岸田文雄さんは小学校の時に少し英語をかじっただけの人には見えないのです。

恐らく、岸田文雄さん、長期で留学等はできなかったけれど、自己流でネイティブの講師をつけるなど、勉強してきたのではないでしょうか…。

岸田文雄さんはイケメンな上に人前でのスピーチが得意です。分かりやすい話と優しそうな雰囲気…そういった土台があるので、英語もなんだか上手な人に見える『得なタイプ』なのかもしれませんね。

きっとこれだけ発音がいいのは、小学生の時に無意識の内にニューヨークで培ったのではないかと思います。たった2年間といえど、英語しか通じない学校でたった一人授業を受けなければならなかった岸田文雄さん。必死な環境に身を置いた結果、耳が良くなったのではないかと思うのです。

きっとその時頑張った分が脳みそに染み込み、ネイティブに近い発音になっていると思われます。

岸田文雄のニューヨークの小学校時代のエピソード②、ニューヨークでケネディ暗殺事件と遭遇、翌年は東京オリンピックが開催

射殺される寸前のケネディ元大統領。ピンクの帽子をかぶっているのは奥様のジャクリーン夫人です。

岸田文雄さんがニューヨークにいたのはたった2年間でしたが、その間に世界的な出来事が2つも起きていたのですから驚きです。

まず一つ目は『ケネディ暗殺事件』でした。オープンカーから奥様と一緒にアメリカ国民に手を振っていたケネディ大統領は何者かによって頭部を銃で撃たれ即死してしまいます。

多くの市民が生放送でその瞬間を見ていた為、後にいくつもの映画が作成されるなど、伝説的な事件となった出来事でした。

暗殺事件が起きた瞬間、岸田文雄さんはニューヨークにいました。子供ながら相当ショックな出来事だったと思います。

翌年には明るい話題、東京オリンピックが開催されました。放送時間が夜中だったことから岸田文雄さんは眠い目をこすりながらテレビを見ていたそうです。

学校では人種差別を目の当たりにしたという岸田文雄さん。いつか解決しなければならない問題と強く心に残ったそうです。

銃声が響き渡り、周辺の人は皆逃げまどいました。

岸田文雄の出身小学校は、2校目は千代田区立永田町小学校

入学:1965年4月/卒業:1970年3月

●学校名千代田区立永田町小学校
●所在地〒100-0014
●東京都千代田区永田町2−19−1
●最寄り駅永田町駅(東京メトロ有楽町線)
●公式HP─

ニューヨークから戻った岸田文雄さんは実家のあった東京で再び暮らし始め、千代田区立永田町小学校に転入しました。

同校であることのエビデンス

岸田文雄さんは東京の渋谷区出身なので、ニューヨークの学校から戻ると、今度は千代田区永田町にあった千代田区立永田町小学校に通い始めました。

この学校は地図を見ても分かる通り大変恵まれた立地にあります。近隣には『国立国会図書館』『国会議事堂』があるなど、有名な場所です。

その影響からか、千代田区立永田町小学校も都内ではかなり名が知られているため、岸田文雄さんは卒業生として有名人のようですね。Twitterなどで良く紹介されています。

といった点などから、岸田文雄さんが千代田区立永田町小学校であることはまず間違いないでしょう。

岸田文雄の永田町小学校時代のエピソード、千代田区立永田町小学校に通ったのは家族に政治家が多かったから!?

岸田文雄さんがなぜ永田町にあった小学校に通ったのか?気になって調べてみると、岸田文雄さんのお父様である岸田文武さんが広島県出身の通産官僚だったことが分かりました。

岸田文雄さんのお父様は自由民主党衆議院議員(5期)だったので永田町は何度も足を運ぶ場所でした。自ずと近隣だった小学校に通わせたいと思ったのではないでしょうか…。

お父様の弟(岸田文雄さんの叔父にあたる人物)は広島銀行会長・相談役だった岸田俊輔さんです。岸田文雄さんのお母様は元日東製粉社長井口良二の次女。調べれば調べる程、早々たる顔ぶれが揃っていました。

岸田文雄さんはまさに絵に描いたようなサラブレッドだったんですね。気になって家系図を調べてみたところ…。

なんと元内閣総理大臣の宮澤喜一さんにたどり着いてしまいました!!家柄のいいもの同士結婚することが多いので、結局そうなるんだよなぁと納得するところもありましたが、それにしても大物政治家の家系図は華やか過ぎて驚いてしまいます。

岸田文雄の出身中学校は、千代田区立麹町中学校

入学:1970年4月/卒業:1973年3月

●学校名千代田区立麹町中学校
●偏差値─
●入試難度─
●所在地〒102-0093
●東京都千代田区平河町2丁目5−1
●最寄り駅永田町駅(東京メトロ有楽町線)
●公式HPhttps://www.fureai-cloud.jp/kojimachi-j/

千代田区立永田町小学校を卒業した岸田文雄さんは、通学エリア内にあった千代田区立麹町中学校に進学しました。家柄を考えると中学から私立に行ってもおかしくありませんでしたが、区立を選んだのは意外だったかもしれません。

同校であることのエビデンス

岸田文雄さんは千代田区立麹町中学校の70周年記念を祝うイベントに参加し、卒業生代表として在校生にメッセージを残したことがありました。

自由民主党政調会長の岸田文雄として『自由な思考で、信じた道を』と後輩たちへメッセージを残しています。

少子化問題が少しでも解消されるように若い世代に語り掛けた岸田文雄さん。

Twitterなどにも記載されていることから、岸田文雄さんが千代田区立麹町中学校であることは間違いないでしょう。

岸田文雄の中学生時代のエピソード、テニス部の王子様的存在だった&一生懸命やらなかった自分に後悔

中学時代は軟式テニス部に入っていた岸田文雄さん。↑の画像のように、生粋のイケメンなので、中学時代も相当かっこ良かったのではないかと思われます。

一部ではテニスをする姿が王子様みたいだったという話も。いつも振る舞いに品があって優しい岸田文雄さんなので、きっと目が♡になってしまうようなプレー姿だったことだと思います。

岸田文雄さんは過去に中学時代の自分を振り返り『好きなことは一生懸命やるけれども、関心がないことは随分と手抜きしてきたのかな。もっと一生懸命やっておけば良かったと思うことはいっぱいあります。』と語ったことがありました。

口でいうよりは数倍努力なさっていると思いますが、がむしゃらにできなかった理由は、育ちが良過ぎたからだと予想しています。

そこまで頑張らなくても今の地位にいられるなんて、なんて羨ましい人生なのでしょうか…。

千代田区立麹町中学校の主な卒業生

●露木茂
●角野卓三
●貫地谷しほり

角野卓三さんといえば『渡る世間は鬼ばかり』のイメージがありますが、実際の角野卓三さんは、父親が元広島県会議員、母親は千駄ヶ谷の医者の娘というめちゃくちゃお金持ちの家に生まれました。

つまり実際はお坊ちゃまだったんですね。岸田文雄さんとは9歳が違うので同級生ということではありませんでした。

岸田文雄の出身高校は、開成高等学校

入学:1973年4月/卒業:1976年3月

●学校名開成高等学校
●学科・コース普通科
●偏差値78
●入試難度難関
●所在地〒116-0013
●東京都荒川区西日暮里4丁目2−4
●最寄り駅西日暮里駅(東京メトロ千代田線)
●公式HPhttps://kaiseigakuen.jp/

千代田区立麹町中学校を卒業した岸田文雄さんは偏差値78、都内で最も頭のいい人が入る学校と呼ばれている、名門中の名門、開成高校に進学しました。

開成高校のトップは相当頭がいいという噂で、東大に入った学生でも上回ることは難しいともいわれています。

岸田文雄さんはそんな学校の受験にパスした!!無茶苦茶頭が良いという証拠です。

同校であることのエビデンス

岸田文雄さんが開成高校だったことについては、Twitterに多くの情報が寄せられています。他にも、2017年の中央公論2月号では、開成高校がなぜこんなにも進学校になったのか?謎を解くために、卒業生である永井良三氏、丹呉泰健氏、北村滋氏、吉野英樹氏、山口優夢氏、落合陽一氏、加藤丈夫氏、柳沢幸雄校長、逢坂剛氏、岸田文雄外相らのOBが登場しました。

岸田文雄さんが開成OBの中に入っているということは、岸田文雄さんが開成高校に通っていたと考えて間違いないでしょう!

岸田文雄の高校時代のエピソード①、開成が大記録を達成した年、岸田文雄は不名誉な記録を残していた!!

岸田文雄さんが開成高校を卒業した1977年、開成高校は東大合格者数が初めて全国で1位になるという大記録を達成しました。なんとこの年、開成高校は1年間で124人もの東大生を誕生させました。

結局、1982年から36年間、開成高校は東大合格者数で連続1位を記録。次第に開成高校は『神童大量生産高校』などと呼ばれるようになりました。

開成高校にとって記念すべき年だった、初めて東大合格者数1位を記録した年。岸田文雄さんは奇しくも、開成高校を卒業し東大受験に失敗していました。

もし岸田文雄さんが東大に合格していれば、開成高校の記録はさらに素晴らしいものになっていたのですが、結局岸田文雄さんは浪人し、早稲田大学法学部に進学します。

日本全国で比較すれば、開成高校の学生だった岸田文雄さんはもちろん超が付くほど頭の良い学生でした。しかし開成高校の中での比較となると…落ちこぼれチームに入ってしまうタイプだったのかもしれません。

しかしこの失敗はその後の岸田文雄さんの人生にとって逆に成功と呼べるものになったのかもしれません。

良家のお坊ちゃまとしてこの世に誕生し、ニューヨークで差別は受けたものの、その後はテニスの王子様など、エリートコースまっしぐらだった岸田文雄さん。

性格良し、頭良し、顔良し、人望もある…そんな男の唯一の失敗。この教訓が政治家になってからの彼の手堅さを築いているのではないでしょうか…。

岸田文雄の高校時代のエピソード②、小説家にかりたかった!!

高校時代の岸田文雄さんは、読書が大好きで、夏目漱石、ドストエフスキー、大衆文学の『赤頭巾ちゃん気をつけて』など、幅広いジャンルの本を網羅していました。

政治家にしては芸術的な感性が豊かな岸田文雄さん、『部活動で軟式野球部に入り、ショートやセカンドを守らなければならず忙しかったせいで、芸術家になり損ねてしまった(笑)』と話していたことがあったそうです。

軟式野球部はかなり弱かった(笑)ようですが、幼い頃から父の影響で広島カープの大ファンである岸田文雄さんは、かなり野球にのめり込んでいたようです。

1975年10月15日、東大の受験を控えた高校3年生の大事な時期でも、巨人と広島カープの試合を見に行ってしまったんです。

後楽園球場だったので自宅からそう遠くはなかったかもしれませんが…。そんなこんなやってるせいで東大には合格しなかったかもしれませんね。でもなんだかチャーミングなエピソードというか、野心家過ぎないやんちゃな感じが凄く素敵に見えてしまいました。

岸田文雄の出身大学は、早稲田大学

入学:不明/卒業:1982年3月

浪人した結果、岸田文雄さんは東大ではなく早稲田大学に入学しました。

同校であることのエビデンス

2019年9月に発売されたARRAの巻頭特集で、岸田文雄さんは↑の画像の通り、『早稲田大学VS慶応義塾大学』の早稲田大学の卒業生として、石破茂さん率いる慶応義塾大学の卒業生とともにインタビューに答えたことがありました。

こんな特集に出ているくらいですから…早稲田大学に通っていたことはまず間違いないでしょう!

岸田文雄の大学時代のエピソード①、二浪して早稲田に入ったという噂は本当!?

岸田文雄さんが早稲田に入ったのは一浪だったという話もありますが、もう少し調べてみると…『いや、一浪だと計算が合わないんだよな』という投稿をいくつも発見しました。

岸田文雄さんは一浪して早稲田に入った…という人もいます。

しかし岸田文雄さんは二浪して早稲田に入ったという人もいるんです。一体どっちが本当かと調べていくと、やはり一浪だと卒業までの年と計算が合わなくなってしまうのです。

●開成高校卒業 1976年3月
●早稲田入学  不明
●早稲田卒業  1982年3月

大学は通常4年なので、早稲田を卒業した1982年から4年引くと、1978年になります。岸田文雄さんが全く浪人しなかったとすれば、1976年4月から大学に通っていたことになります。

●1976年4月 浪人
●1977年4月 浪人
●1978年4月 早稲田入学

と考えるのが1番自然なのではないかと予想しました。ウィキペディアを調べてみたところ、やはり予想通り、早稲田は2浪して入ったとの記載がありました。

帰国後千代田区立永田町小学校の三年次に転入し、千代田区立麹町中学校を経て開成高等学校卒業。2年の浪人を経て、1978年に早稲田大学法学部に入学。1982年、同大学同学部(民法(不法行為):浦川道太郎ゼミ[3])卒業[1]、同年日本長期信用銀行に入行[1]。

これは岸田文雄さんが隠して一浪という話になったのではなく、多くの人が勘違いしている可能性が高そうです。有名人もここら辺は上手く誤解を解くことができずに苦労しているのかもしれませんね。

まとめ

調べれば調べる程、幅広い視野と感覚を持ち合わせた岸田文雄さんの魅力が伝わって来ました。サラブレッドだけど傲慢じゃなければ野心家というわけでもない。かっこつけることをしないから、二浪したことだってさらっと話してしまえるのかもしれませんね。

多くの記者たちが『最も失言しない政治家は誰か』と聞かれると多くの人が岸田文雄さんの名前を挙げるんだそうです。

失言しないということはつまりその裏で頭を使っているということ、相当賢い人でなければできないことですよね。

岸田文雄さんという人物は、アインシュタインのような天才タイプではなく、政治家としての天才なのかも?…そんな期待を抱かせる素晴らしい人物だとすっかりファンになってしまいました。

政治家・有名人の出身校&学歴

この記事を気に入ったら
いいね!しよう!
エンタメ情報を毎日お届けします
この記事を友達に教える
Twitter Facebook

関連する記事

天皇陛下の83歳の誕生日にTwitter上ではたくさんのお祝いの言葉が!!振り返る天…

12月23日に誕生日をお迎えになられた天皇陛下。Twitter上にはたくさんのお祝いの声があがっています。天…

Mommy / 2925 view

天皇陛下が『生前退位』!?平成終わる日はいつ!?新しい次の年号・元号は!?

現在天皇陛下の地位にある今上天皇 ・明仁様(82)が近いうちに生前退位を行い、『平成』の年号を改めるとの意向…

*Putyu* / 2232 view

ケネディ駐日大使らが『逃げ恥』の“恋ダンス”動画をYouTubeに投稿し話題に!ダン…

アメリカの駐日大使、キャロライン・ケネディ大使が逃げ恥の“恋ダンス”をYouTubeでダンス動画を披露し話題…

*Putyu* / 2648 view

【参議院議員選挙2016】リツイートするだけで逮捕!?18歳の選挙者が起こすTwit…

選挙関連のツイート…どこまでやって大丈夫!?注意しておきたいTwitterの内容とリツイートだけで逮捕される…

*Putyu* / 2191 view

小池百合子が「首相は公明党の山口那津男代表がいい」と発言し炎上!発言の理由は創価学会…

小池百合子氏が公明党熱烈支持でネットが炎上!発言の理由は創価学会の投票が欲しかったから!?

*Putyu* / 2479 view