“Qちゃん” 高橋尚子の現役時代のマラソンの実績や功績に引退理由まとめ!

チームQへの独立理由は小出義雄監督との確執だった!?

シドニーオリンピックやベルリンマラソンの女子マラソン金メダリスト高橋尚子さん。

マラソンランナー現役時代は“Qちゃん”の愛称で皆から親しまれました。

故・小出義雄監督との息のぴったりなタッグが記憶に焼き付いている人も多いでしょう。

そのな彼女のマラソンランナー時代の実績や功績、小出義雄監督との確執が原因とされる“チームQ”への独立理由や現役引退理由を徹底的にまとめてみました。

”Qちゃん”高橋尚子ってどんな人!?マラソンの経歴や実績は!?

1995年:大学卒業後、リクルート入社小出監督と出会う

高橋尚子さんは、大学卒業後リクルートに入社、そこで小出義雄監督と出会い、指導を受けるようになりました。

1997年、大阪国際女子マラソンの舞台でマラソンデビューしますが、その時の成績は、、2時間31分32秒で7位。

1997年:小出義雄監督の移籍に伴い積水化学へ移籍

1997年4月に小出義雄監督の積水化学移籍にともない、高橋直子さんもリクルートから積水化学に移籍。

世界陸上選手権アテネ大会で鈴木博美選手の優勝に感動し本格的にマラソンランナーへの道を歩む

世界陸上選手権アテネ大会で鈴木博美選手の優勝に感動し本格的にマラソンランナーへの道を歩む

世界陸上選手権アテネ大会で、高橋直子さんの練習パートナーを務めていた先輩の鈴木博美さんが女子マラソンで優勝した事に感動したQちゃんは、その後本格的にマラソンランナーとして取り組む事に。

ここから彼女の快進撃がはじまります。

1998年には名古屋国際女子マラソンでは当時の日本最高記録である2時間25分48秒を更新し初優勝しました。

その後は、フルマラソンやハーフマラソンの大会いずれも好タイムを出し、2000年3月の名古屋国際女子マラソンで優勝し、シドニーオリンピック代表となりました。

2000年:シドニーオリンピックで金メダル獲得。

2000年9月4日に開催されたシドニーオリンピックでは、五輪初出場で優勝した高橋尚子さん。

五輪での金メダル獲得は、日本陸上界64年ぶり(戦後初)で、日本女子陸上界においては史上初の快挙でした。

さらに、ゴールタイムの2時間23分14秒は、アメリカ代表のジョーン・ベノイト選手がロサンゼルスオリンピックでマークしたタイムを16年ぶりに更新し、当時のオリンピック最高記録となりました。

「すごく楽しい42キロでした」

と、Qちゃんスマイルに国民全員が祝福しました。

2000年10月30日:国民栄誉賞を授与

高橋尚子さんは、シドニーオリンピックの活躍(女子初金メダル/世界記録更新)により、同年10月30日い国民栄誉賞を授与されました。

授与したのは“オリンピックおじさん”森喜朗元総理大臣。

2001年:ベルリンマラソン優勝で金メダル獲得&世界記録更新!

快進撃の続く高橋尚子さんは、2001年に開催されたベルリンマラソンで、女子初となる2時間20分を切って2時間19分46秒のタイムをマークし、優勝。
当時の世界記録保持者となりました。

2008年:高橋尚子がマラソン引退! 理由は!?

マラソン選手として数々の記録を打ちたて、輝かしい成績を残した高橋尚子さんですが、2008年に現役引退を発表。

引退理由をまとめてみました。

ベルリンマラソン後は怪我や不調に苦しむ

快進撃を続けてきた高橋尚子さんですが、ベルリンマラソン以降は怪我・不調が続きました。

2004年:アテネオリンピック落選

2004年のアテネオリンピックでは、まさかの代表落選。

2005年:小出義雄監督の下を離れ独立(確執!?)→ ファイテンへ移籍し「チームQ」として活動

2005年5月9日には、それまで二人三脚で歩んできた小出義雄監督の元から独立し、選手活動を続ける事を表明。

独立の理由は、小出義雄監督の指導姿勢への不満もあったと噂されています。

これまで一緒に歩んできた時間が長かったからこそ、確執が生まれてしまったのでしょう。

高橋尚子さん自身は、会見で「自分の競技生活も残り2、3年と感じる。甘えられる環境を抜け、すべて自己責任においてやってみたかった」と決断の理由を説明しています。

独立は2005年の2月から真剣に考え始め、3月に決断し、同年4月13日に小出義男代表に意思を伝えたそうです。

2005年6月、ファイテンと2009年5月までの4年間の所属契約を結び、同社の陸上部とは別に「チームQ」として活動を続けました。

2008年:高橋尚子、現役引退

小出義雄監督の下から独立し、チームQとして、独自に選手活動を続けていた高橋尚子さんですが、2005年11月20日、東京国際女子マラソンで優勝するも、その後は成績が振るわず、2009年3月8日の名古屋国際女子マラソンに、ファンや関係者に感謝の意を込めて「ありがとうラン」として一般参加で出場し、現役を引退。


引退理由としては「自身の限界まで挑んで完全燃焼した結果」と語っています。

「ありがとうラン」涙の引退会見の様子(動画)

高橋尚子 ありがとうラン 涙の記者会見 - YouTube

出典:YouTube

高橋尚子の現役引退会見 全文

高橋

 本日をもちまして現役引退を決意しました。中学から陸上を始めて多くの経験をする中で、いろんなことが台風のように過ぎ去って、今は台風の後のさわやかな風が吹いていると感じています。自分の中では完全燃焼して、さわやかな気持ちです。

 --なぜ引退を決意したか

 高橋

 3月の名古屋国際後に、3大会連続出場を目標に掲げたころは、引退は思ってもいなかった。でも8月ぐらいから(米国)合宿で思うような走りができず、プロ高橋尚子として皆さんの前に自信を持って堂々と出場できるかというと不安で、10月になってもその気持ちは変わらなかった。ファンラン(楽しんで走る)のようになってしまうなら、いったん引退してから、再び楽しんで挑戦しようと思うようになった。

 --きっかけは何か

 高橋

 足が痛いとか決定的な何かがあったわけではない。自分が納得いく走りができなくなった。精神的、肉体的にこれが限界なのかなと感じてきた。(レースに)出ればいいやという走りはしたくなかった。ただ(名古屋直後の)3月ごろに「そろそろ終わりかな」という感じでやめるよりも、「限界かな」というところまで挑戦できたことは、陸上人生に悔いなしと感じています。

 --3大会全部でなければ、万全な状態でどこかで走れたのでは

 高橋

 大会に出場するには、気持ちも肉体もひとつステージを上げたところで練習し、そこから下がらないようにしなくてはならない。時間があっても東京は無理だった。それが大阪、名古屋と後に延ばしたとしても、その状態に自分を追い込んでいけるかと言えば、同じことの繰り返しになる。

 --優勝しないとプロとしてダメという美学か

 高橋

 優勝を狙って、結果的に優勝じゃなかったというのはいいと思う。でもスタート地点に立つからには、やはり勝ちたいと思う。初めからもう無理だという気持ちであれば、退いた方がいいのかなと思った。

 --チームQのスタッフにはどのように話したか

 高橋

 眠れない日が続いた8月の終わりに、ジョギングの最中に話したのが最初。その時は弱音を吐くような形で言った。その後、マネジャーに話した時に「もういいんじゃないの。良くやったよ」と声をかけていただき、ふっと体が軽くなった。チームのみんなからは、こういうふうにやってこられてうれしいと温かいメールをいただいた。

 --アスリートの引き際をどう考えているか

 高橋

 引退は人それぞれだと思う。大きな偉業を達成して、華々しい中でやめられる方も素晴らしいと思うし、とことんやって完全燃焼で終わる人も、それぞれだと思う。自分としては、陸上が好きだということで続けてきた人生なので、こうやって完全燃焼できたことは納得がいっている。

 --「40位でも走る」というのが完全燃焼では

 高橋

 私は試合も練習も同じ気持ちでやっている。今までは今日は完全燃焼、明日も完全燃焼としてやってきた。それが今日もダメ、明日もダメとなって、たまっていく。試合までの過程でも試合と同じような気持ちでやってきた。どこが完全燃焼なのかというのは、人それぞれの価値観や見解の違いだと思う。

 --北京五輪は野口が欠場し、38歳のトメスクが優勝したが

 高橋

 野口さんの欠場はショックだった。ひと言声を掛けたいと思い、メールを書いたけど、アドレスが変わっていて、戻ってきてしまった。野口さんのことを考えると苦しい気持ちになった。38歳のトメスクさんが頑張ったことは素晴らしい。それで自分を奮い立たせようとしたが、立て直すことはできなかった。

 --励みになった歌はあったか

 高橋

 支えてくれたのは、B’zの「ULTRA

 SOUL」。一番きつい練習の時、何回も聴いて、その歌詞に励まされました。

 --小出義雄氏については

 高橋

 今あるのは小出監督が育ててくださったから。五輪で金メダルを取ったり、世界記録を出させてくださったりしたことは、とても大切な時間だったし、大切な方だった。でも、それ以降も自分のチームでたくさん学ぶことができた。自分の足で歩き、生きるという意味で、勉強させられた充実した3年間だった。たった4人のチームでもまとめていくのは難しいと思った。

 --両親には話したか

 高橋

 一昨日、帰ってきてから夜に電話で話した。驚かないでほしいけどと言って話したら、本当に穏やかに「よく頑張ったね」と言ってくれた。

 --一番の思い出は

 高橋

 振り返るとどこもいい思い出ばかり。アジア大会、五輪、ベルリンは大きな成果が出せて思い出深い。でも、自分の転機になったのは(マラソン)2回目の名古屋。成績を出せなかったらマラソンをやめようと思っていたので。

 --マラソンをやって良かったことは

 高橋

 日本人として五輪に優勝することができて、女子選手でも2時間20分を切ることができるということを証明できた。それを機会に記録が伸びて、それを契機にプロではない多くのジョガーが増えてたことは良かったと思っている。

とても悩んで決めたのですね!

ところで高橋尚子のあだ名が”Qちゃん”の由来(理由)は!?

リクルート時代の陸上部新歓コンパでのエピソードが由来

高橋尚子さんのあだ名(愛称)が“Qちゃん”の由来は、一体どこからきたのでしょう?

イニシャルにもQは入らないし…
ということで調べてみました。

高橋尚子さんのあだ名(愛称)が“Qちゃん”になった由来(理由は)リクルート時代に、リクルート陸上部の新入部員歓迎会でアルミホイルを使ったボディコン風の衣装を着て『オバケのQ太郎』の歌を歌い盛り上がったことに由来するそうです。
うーん、今の時代ならパワハラ&アルハラってなりかねませんが時代ですねえ。
本人も楽しんだならOKです!

個人的には笑顔の時の唇が『オバケのQ太郎』に似ているからかな?と思ってましたが、ボディコン関係ないじゃん!

こちらが本家・おばけのQ太郎

海外メディアが付けた高橋尚子の愛称(あだ名)は“スシ・ターボ”

ちなみに、高橋尚子さんがベルリン五輪などで海外でも有名になった頃には、海外メディアからは『スシ・ターボ』と呼ばれていたそうです。

高橋尚子さん 競技人生おつかれさまでした!

シドニー五輪での金メダルに、ベルリン五輪での金メダル&世界新記録更新など、マラソンランナーとして、輝かしい功績を残してきたQちゃん。

それまで金メダルを獲得することがなかった女子五輪選手にとって、彼女が以後の日本の女子選手の躍進のきっかけ、原動力となったのは言うまでもありません。

ブランド好きなど、下世話な噂や誹謗中傷もあったと思いますが、本当にお疲れ様でした!!

スポーツキャスターやトレーナーなど高橋尚子さんの第二の人生はきっと輝かしいものでしょう!

現役引退後の高橋尚子さんの現在はこちら!

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