安室奈美恵の母親惨殺事件の全貌とタトゥーを入れた理由
安室奈美恵の実の母親は殺害されていた!?“安室奈美恵・母親惨殺事件”の全貌と当時のマスコミの執拗な取材、タトゥーを入れた理由も調べてみました。
安室奈美恵のお母さんが殺された″安室奈美恵実母惨殺事件”の全貌
あの事件から安室奈美恵はカメラの前で泣かなくなった…
今でも痛ましいあの事件。
ふれるのも畏れ多いのですが、安室奈美恵さんの母親が殺害された1999年の“安室奈美恵の実母惨殺事件”。
若い人の中には、知らない人もいるかもしれません。
宇多田ヒカルさんがお母さんを亡くされたときも、マスコミの報道はひどいものでした。風化してしまったら何も変わりません。
丁寧に安室奈美恵さんの母親の殺害事件を振り返ることで、安室さんのお母さまへの追悼とさせていただきます。
国民的スーパースター安室奈美恵さんのこれまでの苦労をねぎらい、事務所独立して社長となった安室奈美恵さんにエールを送る意味でも、今回はあえて安室奈美恵さんが最もマスコミに攻撃されたあの日のことを遡りたいと思います。
90年代には毎週テレビに生出演していた安室奈美恵
安室奈美恵さんといえば、90年代にはミュージックステーションなど生放送の歌番組にも出演していました。
新曲発表のときには歌詞を間違えることもあり、逆にダンスをしながらほとんどCDと同じような生歌を、息つぎせずにこなしている凄さが垣間見えました。
実は涙もろい性格だった安室奈美恵
レコード大賞受賞したときの「Don't Wanna Cry」や、結婚発表後の「Can You Celebrate?」など、歌いながら感極まって泣いてしまうシーンも時々ありました。
小室ファミリーで立ち上げたチャリティグループによる「こねっと」による「We Are The One」の有名なフレーズでも、泣きだしそうな歌い方が印象的でした。
現在の安室奈美恵がTVよりライブ中心に活動している理由は?
昔はTVを中心に活動していた安室さんですが、ある時期からライブ中心の活動に移行しました。
その背景には様々な事情があるようです。
安室ちゃんが、紅白に出ない理由は?
安室さんは、年末のTV番組の生出演に出ないことで有名です。
以前はTVの生出演で忙しくしていた安室さんですが、
ある時期から、年末は家族、主に息子さんとゆっくり過ごすために、生出演をお断りするようになりました。
が、一部では安室ちゃんは、出産後の復活の場所であった「NHK紅白歌合戦」には思い入れがあり、そこに出演させてもらえなくなったのは事務所とのしがらみが問題であるとも噂されています。
(参考記事:mizoguchi / 女社長・安室奈美恵の事務所独立)
今ふりかえる、90年代の安室奈美恵
安室ちゃんって、いつから活動してるの?
1991年、当時中学2年生だった安室奈美恵さんは、沖縄アクターズスクールの中で結成された「スーパーモンキーズ」のメンバーとして選ばれ、沖縄で活動しているところをテレビスタッフに発掘されて芸能活動のスタートを切りました。
1992年の9月に、東芝EMIからメジャーデビューをし、1994年からポンキッキーズ出演。
1995年にMAX松浦さんプロデュース「TRY ME~私を信じて~」「太陽のSEASON」で人気がで始め、「THE夜もヒッパレ」に出演。
社会現象となった「アムラー」
MAX松浦さんをつうじて小室哲哉さんと出会った安室さんは、avexへ移籍したことをきっかけに大ブレイク。
若い女の子たちが安室さんの格好を真似する「アムラー現象」が起き、安室さんはファッションリーダーに。
厚底ブーツ、ヘソ出し、ミニ、パラパラやヒップホップなどのダンスが流行し、「コギャル文化」が発生しました。
人気絶頂で結婚&妊娠。号外が配られる。
19歳で「SWEET 19 BLUES」などで人気絶頂。
1997年10月。「Can you celebrate?」をリリースした後、妊娠が発覚し、TRFのSAMさんとの結婚を発表。
結婚ソングですが、本人は曲を出したころは自分が結婚することになるとは思っていなかったそうです。
銀座・有楽町などの街中で号外が配られ、ものすごい騒ぎとなりました。
「できちゃった結婚」「ヤンママ」をブームにした人?
当時は、弱冠ハタチの人気絶頂の女性アーティストが結婚と妊娠を同時に発表したことは、衝撃的なニュースとなりました。
「できちゃった結婚」という言葉が生まれ、流行しました。
「ヤンママ」という、若くてオシャレなお母さん、お仕事を積極的につづけるママのイメージが社会に生まれたのも、安室ちゃんの影響です。
妊娠しても、踊るのをやめない。
ギリギリまで踊ることをやめなかった安室さん。
育児休暇に入る前に、「Dreaming I was dreaming」というスローなテンポの曲を発表して、ステージで大勢の観客を前に踊りつづけました。
はじめはスローですが、後半は激しい踊りをスムーズにこなしています。
Namie Amuro-Dreaming I was dreaming - YouTube
出典:YouTube
産後の休暇中も「音楽からは離れない」
1997年の安室さんのインタビューでは、子育てのために、出産後、1年間の休止期間に入ることについて、休止中も歌詞を書く勉強をするなど音楽からは離れないと答えています。
結婚ソング「Can You Celebrate?」を歌うことになった新婦さん。
「Can you celebrate?」という曲は結婚をテーマにしていますが、この曲が発表されたときは安室さんはご自身が結婚すること・お子さんを授かるという運命を知りませんでした。
ドラマの主題歌として、結婚を祝う側として歌っていた安室さん。
ニュースの後は、この曲の主人公である新婦の立場になった安室さんが、この曲を歌うことになりました。
結婚ソングを歌っていたお茶の間のアイドルが、いきなり結婚してしまうというドラマティックな現実のストーリーは、国民的な注目を浴びました。
紅白歌合戦で、育児休暇から復活。
安室Namie Amuro - Can You Celebrate (Live).flv - YouTube
出典:YouTube
安室奈美恵、復帰の瞬間。
1998年5月に長男をご出産。
1998年12月31日、紅白歌合戦での活動復活となりました。
その矢先に、後に安室さんが「地獄」と呼ぶ、大きな不幸が訪れました。
安室奈美恵さんの実母惨殺事件の全貌まとめ
1999年3月17日午前11時48分:安室奈美恵の実母が義理の弟に殺害される
1999年3月17日、午前10時40分ごろ。
安室奈美恵さんの実のお母さん(当時48歳)が義弟(安室奈美恵さんからは叔父にあたる人物)に車でひかれるという、痛ましい事件が起こりました。
安室奈美恵さんのお母さんは、その後病院に搬送されましたが、同日午前11時48分、息を引き取りました。
容疑者である義弟の自殺で事件は迷宮入り
安室奈美恵さんの実の母親を殺害した容疑者は、安室奈美恵さんのお母さんの義理の弟で当時44歳の男性。
安室奈美恵さんの叔父にあたりますが、お母さんの再婚相手の実弟なので、安室さんと血縁関係はありません。
事件から4時間後、農薬を飲んで自殺し、山の中で発見されました。
容疑者は、血縁関係のない身内
安室奈美恵さんは当時21歳。
出産し、事件から4ヶ月前の12月に歌手活動を再開していました。
マスコミは安室さんの家族・親戚の中で起きてしまった殺人事件について、大々的に取り上げて報道しました。
新曲「RESPECT the POWER OF LOVE」発売日に起きた悲劇
事件当日の3月17日は、新曲”RESPECT the POWER OF LOVE”の発売日でした。
朝の情報番組では、解禁となったPVが流されていました。
この曲はアサヒ飲料「nice One」とタイアップしており、当日には発表イベントが予定されていましたが、急遽キャンセルとなりました。
午後12時20分:「お母さんが事故にあったらしい」と伝えられる
午後12時20分、イベントに参加するために会場入りしていた安室さんは、マネージャーから「お母さんが事故にあったらしい」と伝えられました。
安室さんは慌てて、自分のお姉さんに電話をかけたようですが、確認がとれず、落ち着かない状態となりました。
午後1時10分:マスコミがイベント会場に殺到
午後1時10分、安室さんはようやく関係者から事実を知らされました。
キャンセルになったイベント会場には、事件を聞きつけたマスコミが殺到していました。
主催者側はイベント中止を発表。
テレビのワイドショーで事件が大きく取り上げられはじめ、TVでも生中継が行われました。
午後1時30分:沖縄への航空券が取れない
午後1時30分。
事務所にもマスコミが殺到していました。
安室さんは、すべての仕事をキャンセルして沖縄へ向かう用意をしましたが、修学旅行シーズンと重なっていたため、航空チケットがすぐに手配できない状態でした。
もしこの事件がなければ、安室さんは20日に沖縄へ行き、沖縄知事のもとを訪れる予定が入っていました。
午後1時45分:容疑者である実弟がの死因は、殺虫剤の摂取
午後1時45分。
山の中で、容疑者である叔父らしき人物と車が発見され、意識不明のまま搬送されました。車には殺虫剤の粉末がありました。
午後2時50分:マスコミが空港に押し掛ける
午後2時50分。
1時間以上かけて、ようやく沖縄のチケットが確保できましたが、その情報を掴んだマスコミが羽田空港に先回りをし、押し寄せました。
午後3時30分:号外配布
午後3時30分。
銀座の有楽町などで、この事件に関する号外が配られました。
午後3時40分:マスコミの攻撃による転倒事件
午後3時40分。
安室さんは、当時の夫SAMさんと羽田空港に到着しました。
マスコミ、カメラマン、野次馬に囲まれてしまい、執拗な追われ方をしました、
カメラマンが安室さんの表情を撮影しようと、ありえないほどの新距離でレンズを向け、SAMさんはそれをはらいのけましたが、安室さんは転倒しました。
SAMさんに支えられ、声をあげて泣きじゃくる様子が、翌日にはTVで報道されてしまいました。
これ以降、安室さんはTVで一切涙を見せなくなりました。
午後3時55分:飛行機の中でキャビンアテンダントが取材規制のアナウンス
午後3時55分。
飛行機に乗り込みましたが、飛行機内にもマスコミがいました。
座席にいる安室さんを写すマスコミがいたため、航空会社は安室さんの心情を配慮して、機内アナウンスにて取材規制を促しました。
マスコミの小型カメラが座席の安室奈美恵を絶えず撮影
直接安室さんにマイクを向けて質問をしたりそれに答えが返ってくるようなことはなかったようですが、小型カメラでずっと座席に座る安室奈美恵さんの様子を撮影しており、着陸して降りるまでの一部始終がTVで放送されています。
3時間の密室地獄
約3時間以上、安室奈美恵さんは、こんな状況で沖縄の病院に向かうこととなり、飛行機という密室中、カメラを向けてくるマスコミと共に閉じ込められていました。
マスコミが撮りたいものは、実のお母さんの悲報に涙する、スター安室奈美恵さんの顔でした。
安室さんは、悲報を受け止める間もなく、攻撃してくるマスコミとの戦いを強いられました。
午後6時50分:パトカーに先導されて警察へ向かう安室奈美恵
午後6時50分。
ようやく那覇空港に到着。
安室さんは関係者用の出入り口から車に乗り込み、ひとごみの中をパトカーに先導され、警察署へ向かいました。
午後8時3分:霊安室の様子を伝えたマスコミ
午後8時3分。
「霊安室にて、お母さんと約5分の対面。別室で25分間、事件に関する説明を受ける間も、安室さんは終始無言だった」と伝えられていますが、一体これはどこのマスコミがどうやって調べたことなのでしょうか。
安室奈美恵のお母さんの著書「約束」が品切れに
翌日3月18日、マスコミはあらゆる可能性や疑いをふくめて、記事を仕立てあげました。
安室さんのお母さんは「約束~わが娘・安室奈美恵へ~」という本を出していたのですが、その本が品切れとなりました。
仮通夜「一睡もできなかった」マスコミ50m以内は立入禁止に。
仮通夜のためにご実家に到着された安室さんは「一睡も出来なかった」とされ、かなり疲れた様子だったそうです。
ご実家の前にも多くの警備員、スタッフが配置され、マスコミは50m以内立入禁止となりました。
お母さんの再婚相手を、見るに見かねて家へ。
安室さんのお母さんの再婚相手が到着すると、安室さんと会うのを遠慮してもらおうとスタッフが配慮しましたが、安室さんはご実家の前で悲しむ義父の姿を見るに見かねて、家に招き入れたそうです。
この方は事件現場に居合わせた方だそうです。現在は別の方と再婚され、消息のつかめない一般の方となっています。
ご出棺の日、マスコミはシャットアウト。
翌々日3月19日は、火葬場への出棺となりました。
この日はマスコミは一切シャットアウトになりました。
小室さんが届けた「Don’t Wanna Cry」。
安室さんに多くの曲を提供した小室哲哉さんは、仙台でglobeのライブ中でしたが、セットリストになかった安室さんの曲「Don’t wanna cry」を一人でピアノ演奏をして捧げました。
この曲はレコード大賞受賞のときに、安室さんがタイトルに反して涙を見せた曲。
この事件の後、自分の涙を撮影しようと攻撃してきたマスコミに対して、二度と涙は見せないことにした安室さん。
小室さんはもしかして、TVで報道された安室さんの涙を見て、気持ちを察していたのかもしれません。
小室さんは、告別式にも駆けつけました。
3月20日、告別式が行われました。
たくさんのマスコミや野次馬が、門の外に集まり、生中継されました。
告別式は唯一代表撮影が許されました。
安室さんは前日までの涙や疲れはてた姿ではなく、無表情で気丈に振る舞い、となりで泣く姉を気づかう姿を見せました。
小室哲哉さんも仕事の合間を縫って駆けつけ、会場を訪れました。
沖縄出身のKiroroも手助けに回りました。
この日はもともと安室さんが、沖縄の知事を訪問する予定だった日です。
安室さんはこの日は地元のオーディション番組に出演予定でしたが、Kiroroが代わりに友情出演することで枠を埋めました。
放送予定だったTV番組。
この日には、安室奈美恵さんが事前に収録していた出演番組が放送される予定の日でした。
NHK「ポップジャム」では事件を配慮して、安室さんの出演部分をカットして放送されました。
TBS「うたばん」ではカットせずにそのまま流し、画面上に事前収録していた旨をテロップを表示しました。
活動休止。
その後、安室さんはしばらく活動休止状態となりました。
3月27日には、新曲とのタイアップCM、アサヒ飲料「nice One」が解禁され、TVでコマーシャルが流れました。
生放送「HEY!HEY!HEY!」で復活。「安室ちゃんガンバレ」
3月29日「HEY!HEY!HEY!」での復活は、生放送でした。
この番組では、いつも安室さんを応援するファンからの声援がありました。
この日も大歓声で迎えられ、ファンは「安室ちゃんガンバレ」というプラカードなどで応援しました
安室さんは「すいません、ご心配おかけしました、元気です」とコメントし、笑顔を見せました。
(このときのダウンタウンとのやりとりは、もう1件の記事をご参照ください)
四十九日は、マスコミ回避のため欠席を余儀なくされました。
その後も生放送の出演を続け、涙ぐむことがありましたが、笑顔で歌う安室さんの姿が届けられました。
四十九日の日には、安室さんはまたマスコミが実家や空港に押し寄せることを考え、欠席することとなりました。
この事件で変わった安室さんの、後日談。
もともと苦手だった、人前で話すこと。
安室さんはあまりこのときの話をしたがりません。
それ以降、カメラで泣かなくなったとされる安室さん。
TVの生出演は控えるようになりましたし、ライブでもMCを一切しないスタイルになりました。
安室さんは元々人前で話すことが得意ではありませんでしたが、より慎重になりました。
(参考記事:)
ファンサイトに励まされた。
後に「このとき、引退を真剣に考えていました。しかしファンのみなさんの温かい言葉で励まされ、やっと立ち直ることができました」
安室さんは、休止中にファンサイトに寄せられたコメントを見ていたそうで、後にチャットルームに本人登場もしています。
(詳しくはこちらの記事で:◼︎参照記事◼︎【安室奈美恵とマイケルジャクソン】チャット降臨)
「他の曲だったら泣いて歌えなかったかも...」
安室さんは後に「あの当時、歌う曲が”RESPECT the POWER OF LOVE”で本当によかった。歌ってて自分も元気になれた。もし他の曲なら泣いて歌えなかったかも…」と語りました。
「マスコミが嫌いになりそうでしたよ」
1999年の9月には、雑誌インタビューで「マスコミが嫌いになりそうでしたよ」「でも、今は大丈夫。一人で悩んでいたら、結構耐え切れないものがあった。子供の笑顔には救われるときがある」と発言しました。
「どん底だった」
2008年にも「母のことがあってからずっと辛かった。もう歌うことも”安室奈美恵”でいることもやめたいと思った」とインタビューに答え、「どん底」だったと振り返っています。
記者の方が当時をふりかえり「そっとしておいて」「今でも、この話題はちょっと...」
当時の記者は、後に匿名で「事件が事件だっただけに”そっとしといてあげよう”という空気だった。今でも、この話題を取り上げるのはちょっと…」と語っています。
この記者の方は、安室さんが転倒するまでに過激化した空港や飛行機でのマスコミの一人ではありません。
現場に駆けつけて生々しい血だまりを目撃した、事件発生前から沖縄にいた記者の方です。
タトゥーに込められた思いと、消えていく理由。
お母さんへの気持ちを刻んだタトゥー。
2002年、安室さんは腕にタトゥーを入れました。
お母さんの生年月日、命日、そして英文で「お母さんの愛は、永遠に私の中に生き続ける。R.I.P」という内容です。
「私が心から望んでいたことは、あなたと15周年を一緒に迎えることでした」
2006年、安室さんはツアーパンフレットに英文で「私が心から望んでいたこと、それはあなたとデビュー15周年を一緒に迎えること、そして記念すべきステージでの喜びを一緒に味わうことでした」とメッセージを綴りました。
25周年。タトゥーが消えていく理由は、さらなる活躍のため。
それから10年が経ち、2017年、デビュー25周年を迎えた安室さん。
事件から約18年が経過しました。
安室さんのタトゥーが最近消えてきていると話題になっています。
ファンデーションかレーザーで消しているのではないかと言われています。
これは安室さんが大切にしていた紅白への復活など、個人事務所として再出発したことで実現するかもしれないTV関係の仕事への影響を考慮しているものではないかとも言われています。
CMでは加工で消している場合もあるそうです。
マスコミとの休戦は? バッシングの中で、女社長になった安室さん。
昔の事務所からの圧力で週刊誌に写真を売られるなど、バッシングの真っ只中にいる安室さん。
昔の事務所から独立し、女社長となりました。
マスコミとの戦いはまだ続いていますが、もう安室さんの涙が撮影されないことを願います。
25年ずっとトップを走りつづける安室さんの活躍は、まだまだ止まるところを知りません。
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