【閲覧注意】アメリカ軍が広島に落とした原爆の被害を忘れないためにまとめてみた
出典: http://kanko-h.com/wordpress/wp-content/uploads/2016/05/IMG_0196-1web.jpg
恐ろしい戦争と原爆の被害を忘れないようにまとめました
1905年、日本好きだったというアインシュタインが特殊相対性理論を発表しました。その40年後、広島に原子爆弾が落とされました。アインシュタインのこの理論は原子爆弾の研究を大幅に進めたのです。
(アインシュタインが原子爆弾の発明者というわけではありません)
原子爆弾のしくみは難しいですが、すこしおさらいして、広島が受けた被害をまとめます。
悲惨な写真も載せることにしましたので、お気をつけください。
この記事は政治的な思想はなく、何が起こったかを知りたくてまとめました。どの団体にも関係ありません。
広島に落とされた原爆の原料は?
原爆とは原子爆弾のことです。
第二次大戦中にアメリカによって広島に落とされた原子爆弾は「ウラン爆弾」でした。
長崎に落とされた原子爆弾は「プルトニウム爆弾」でした。
これは原料の違いからこう呼ばれています。
ウラン爆弾はウランが原料なのです。
広島に落とされた原子爆弾ってなに?どんなしくみ?
水素も鉄も、金も「元素」です。そんな元素の仲間に「ウラン」「プルトニウム」があります。
ウラン235はどんなふうに爆発するの?
広島に落とされた原子力爆弾に使われていたのは、「ウラン235」という元素です。
原子爆弾(げんしばくだん、原爆、英: Atomic bomb)は、ウランやプルトニウムなどの元素の原子核が起こす核分裂反応を使用した核爆弾で、初めて実用化された核兵器でもある。 水素爆弾を含めて「原水爆」とも呼ばれる。
人類の歴史上でも恐ろしい兵器です
ウラン235と呼ばれる元素の核は不安定で、中性子をたった1個与えてやるだけで周りのウラン235の核を巻き込んで一瞬で大爆発を起こします。
(ウラン238もありますが、爆弾を作りにくい)
1個の中性子によって最初のウラン235が核分裂を起こし、蓄えていたエネルギーを放出、同時に平均2.5個といわれる中性子も外に飛び出していくので、他のウラン235も次々と連鎖分裂を起こすのです。
その速さは、1キログラムのウラン235で1秒の1億分の1といわれています。
広島に落とされたものはたった800グラムのウランだったのだそうです。
それが半径2㎞を全焼させ、その後も被爆した地域や人を長く苦しめています。
ウラン235を爆発させる装置は意外と簡単なしくみだった
核の連鎖分裂を起こすことを「臨界」と呼びます。
密閉したカプセルの中に中性子とウラン235をぶつけるための爆薬が入っていて、それが爆発して、中性子を飛び込ませるようになっています。
半球には中性子を放出する装置である「イニシェーター」がセットされ、半球二つが合わされた時点でイニシェーターから中性子が放出され、超臨界となったウラン235に中性子が飛び込み、一気に核分裂の連鎖反応が起こる仕組みです。
左側に黒く描かれている爆薬に点火し爆発させると核分裂の連鎖反応が起こります
1945年8月6日、午前8時15分、広島に原子爆弾が落とされました
第二次大戦では日本はいろいろややこしいこともあったものの、アメリカと主に戦っていました。
戦況は日本にとって悪化してはいましたが、抵抗を続ける日本に対し、理由はここでは議論しませんが、アメリカは結果的に原爆を落とすことに決めたのです。
原子爆弾は、8月6日に広島に、8月9日に長崎に落とされました。
原子爆弾投下の命令を下したのは、第33代大統領、トルーマンだった
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、日本の広島市に、原子爆弾リトルボーイが、第33代アメリカ合衆国大統領、ハリー・S・トルーマンの「広島・小倉・長崎のいずれかの都市に8月3日以降の目視爆撃可能な天候の日に「特殊爆弾」を投下するべし」という7月25日付け大統領令を受けたB-29(エノラ・ゲイ)によって投下された。
日本にとって忘れられない日となりました
【広島原爆投下を見た紫電改操縦士「これは戦争じゃない。虐殺だ!」】眼下には広島市の街並み、その瞬間だった。猛烈な衝撃にドーンと突き上げ。「街がない!」広島の街が丸ごと消えていた。https://t.co/iAGpC4R27q pic.twitter.com/0VcnWVagAF
— やのっち (@_yanocchi0519) 2016年5月29日
地上波の特集番組などを見ると、たしかにその場のアメリカ軍の兵士も、イヤーな気分だったらしいとわかります。ベトナム戦争でも、国に帰ったアメリカ兵の多くがPTSDを発症するなど、戦争は当事者が一番苦しみます。
どう考えてもアカンやろって思いますよね。
現代では、アメリカが持っていた資料を見られるようになりました。
広島と長崎に落とされた原子力爆弾には、それぞれ愛称が付いていた
広島には、エノラゲイというB-29戦闘機が「リトル・ボーイ」と名付けられた原子爆弾を落としました。
その後、長崎にはボックスカーにより「ファットマン」が落とされました。
落とした兵士からみた広島と長崎の原爆の様子
空から見た広島のきのこ雲
原子爆弾が爆発したときにできる象徴的な「きのこ雲」の写真が残されています。
【動画】原爆を落とした側から見たようす
落としたほうの視点で見た原子爆弾投下
アメリカ軍が撮った落としたときの様子が残っています。
臨場感があるというか、ずっと日本の中では地面の被害状況の話だけを聞いていたのではじめて見た時は衝撃でした。
さっさと仕事を済ませている感じ。
Real Footage - Atomic Bomb- Hiroshima and Nagasaki - YouTube
出典:YouTube
最初が広島の様子で、次が長崎です
原子爆弾が落ちると、そこでは何が起こる?
原子爆弾が落ち、爆発すると高熱を発生し、周りの空気が膨張しますが、すぐにひきもどされそれが熱風となります。衝撃波はガラスを割り、放射線は免疫系を破壊します。
爆発の約1秒後には直径数百メートルの火球が出現します。百万度超の熱線で建物や人は瞬時に蒸発します。また、もともとそこにあった空気は、瞬間的に押しのけられますから、音速をはるかに超える速度で周辺に広がります。これが爆風となって建物に対して被害をもたらします。
さらに、瞬間的に広がった火球はその数秒後に消滅します。火球のあったところは真空状態ですから一度押しのけられた空気は再び爆発のあった地点に引き戻されます。これにより爆心地周辺は真空に近い状態となり、熱線や最初の爆風を免れた人に対しても被害をもたらします。
広島や長崎の核爆発は空気中で起こりました。これは、先の火球による被害(戦果?)を有効にするためで、爆風は地上にたたきつけるように起こりました。そして地面をはって行くように進んだわけです。もし地上で起こった爆発なら、爆風のいくらかは上空に逃げてしまいますから、効果は薄れます。
その後、残留放射線による人的被害がおこります。
衝撃波は、音速を超える速度で物が移動した時に起こる空気の波です。超音速旅客機などでも住宅のガラスが割れるなどの被害が言われましたが、強い衝撃が起こります。
100万度って、いったい何度でしょうか……
天ぷらの油でも170度です。マグマが1000度だそうです。
人間はどうなる?白血病になるというのは本当?
最初の爆発で蒸発した人、焼けて真っ黒になって亡くなった人は一瞬です。
そして、その後の熱風でやけどを負う人が出ます。爆風で眼球が飛び出す、体がちぎれ飛ぶなどしたそうです。
また放射線のため急性白血病を発症します。
原子爆弾による放射線を浴びた主に子供が、その後2年以上経ってから免疫系の異常で白血病になりました。
閲覧注意!原子爆弾が落ちた後の広島の様子
個人的には、特にここから先をトラウマになるくらいじっくり見ていただくほうがいいのかもしれないと考えていますが、いかがでしょうか。
理由はやっぱり、ちゃんと覚えておかないといけないと思うからです。
時代がうつりかわり戦争体験者もAKBの総選挙が気になる時代
私の家に90近い老人が居ますが、2016年5月27日のオバマ大統領の広島訪問の前にその話をしても、アイドルの出てくるテレビを見て関心がない様子でした。
アルツハイマーでもなく、普通にまだ畑仕事などをしています。
以前は戦争は「絶対イカン!」と当時の話をしてくれたのですが、時代が移ってしまい興味の対象が変わったようです。
風化してしまわないように意識しないと、忘れてしまって同じような惨状を招くといけませんね。
読まなアカンと思う。
原子爆弾の投下直後の広島市
原爆ドームのビフォーアフター
当時は、広島の物産品を展示して販売していたそうです。
また、博物館や美術館としての展示品もあったそうです。しかし、戦火がはげしくなり、内務省などの事務所として使われるようになりました。
原子爆弾の直下に居た人は一瞬にして蒸発した
甚大なエネルギーを一瞬にして放出する原子爆弾ですが、直撃を受けた人は焦げたりする暇もなく蒸発してしまいました。
焼け焦げた人
形が残っている人も。
原子爆弾は広島のどのくらいの範囲にどのくらいの被害を出した?
1945年の12月までに死亡した人は、14万人と言われています。その後に広島での被ばくが関係して亡くなった人の数は、正確にはわからないそうです。
原爆が投下されたとき、東南アジアや中国からの留学生やアメリカ軍の捕虜もいたそうですから、日本人だけが被害者ではないようです。オバマ大統領も話していましたね。
爆心地から500メートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約90パーセントを越え、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約60から70パーセントに及んだ。さらに生き残った者も7日目までに約半数が死亡、次の7日間でさらに25パーセントが死亡していった。
爆心地からの距離と死亡率
幸せな日本の朝にアメリカ兵が原子爆弾を投下するまで、そしてそのあと【必見動画】
30分と長めで、英語だし字幕もないのですが、アメリカで撮られた映像が多く、日本ではあまり見れない原子爆弾を落とすまでや、その後の様子が見れます。
日本人が描いた、川に浮かぶ子供の死体の絵なども意外と日本では見たことがありませんでした。
日本の地上波では、第二次大戦が終わったときに「JAPS GIVE UP」とアメリカで号外が刷られた映像なんて、あまり見たことがないような。
空から広島を眺め、ふっと原子爆弾が落ちていく様子は、なんともいえない気持ちになります。
その前の朝と、その後の廃墟がどうしても結びつかず、ぽかんとしてしまいます。
24 Hours After - Atomic bombing of Hiroshima - YouTube
出典:YouTube
本当に起こったことなのかと変な気分になりました
生き残った日本人女性が「空に綺麗な銀色の飛行機が飛んでいたわ」と見上げた様子が悲しいです。
広島訪問時のオバマ大統領の演説で、描写していた情景そのものでした。
科学者が被爆地に降り立ち、「実験結果」を調査している様子もやな感じ。
ナショナルジオグラフィックの番組です。最後に今の発展した広島の街も見ることができます。
どうやら日本もそのころ原子爆弾を開発していたらしい
太平洋戦争中に旧日本海軍から原爆研究を委託された京都帝国大(現京都大)の荒勝文策研究室が、ウラン濃縮の遠心分離装置開発に取り組んでいたことを示すノート3冊や関連資料が24日までに、京大放射性同位元素総合センター(京都市左京区)で見つかった。
まあしてたでしょうね
ウラン235の純度を高めるためには、濃縮ということが必要です。
その装置の開発に取り組んでいた証拠になるノートが見つかったというニュース。2015年の6月です。比較的新しいニュースですが、よく考えたら核兵器というものがあることを知らないわけもないし、戦争をしているわけですし、作るだろうなそりゃと思います。
この研究が成功していたら、日本がアメリカに原子爆弾を落としていたかもしれません。
誰が悪いとかこうだとか、今考えても不毛な気がします。
これからどうするか考えるしかなさそうです。
とりあえず、一瞬で蒸発するのも全身やけどや白血病になるのも嫌なので、平和に越したことはないんじゃないでしょうか。
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医薬品関係でした
お母さんが作って、これを持って出かけたのですね