デヴィ夫人は若い頃とてもキレイだったらしいので画像を探した!

娘との確執に孫・キラン君が超イケメン!? 北朝鮮贔屓の理由は!?

日本屈指のセレブタレントとして有名なデヴィ夫人。その容姿端麗な外見からハーフと見られることも多いですが、意外に生粋の日本人です。ただ、最近のバラエティ番組で観られる明るい性格とは違い、その半生は幼いころから激動そのもの。

デヴィ夫人ってどんな人!?

バラエティ番組で人気のデヴィ夫人。実は裕福とは言えないご家庭に生まれた努力の人だということをご存知ですか?類稀な美貌からインドネシア大統領に見初められ、結婚・亡命と激動の人生をたどります!

プロフィール

・本名ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(旧姓:根本七保子)
・1940年生まれ(2017年現在77歳)
・インド国籍
・インドネシアのスカルノ元大統領、第3夫人

・NPO法人アースエイドソサエテイ代表
・株式会社デヴィーナ・ソサエテイ代表取締役

スカルノ元大統領の第3夫人になるまでの略歴

・1940年、東京都港区西麻布に父・兵七郎と母・政子の間に生まれる。弟の八曾男と4人家族。
・15歳だった1955年に無名のエキストラとしてデビュー。
・定時制高校に入学すると同時に千代田生命保険(現在はジブラルタ生命保険)に150倍の倍率を突破して入社。
・翌年1956年に父が他界したのをきっかけに、高校を中退。赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働き始める。
・1959年、デヴィ夫人が19歳の時にスカルノ元大統領に見初められ「東日貿易の秘書」という名目でインドネシアに渡る。
・数年のうちは愛人の一人だったが、1962年の夫人が22歳の時に正式に大統領夫人として迎えられる。

「東洋の美女」と称された、若かりし頃のデヴィ・スカルノが美人過ぎ!

20歳前後のデヴィ夫人ですね。一国の大統領が見初めるのも頷ける美貌の持ち主です。夫人の知的で優雅な立ち居振る舞いは元大統領の寵愛を受けていたと言います。
また、若かりし頃は「東洋の美女」と呼ばれていました。ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノという大統領から頂いた名前は、サンスクリット語で「宝石の聖なる女神」という意味だそう。

めっちゃキレイ…

前述でもすでに触れましたが、15歳当時のデヴィ夫人は貧乏な家庭を助けるために昼は生命保険会社の事務職として働き、夜は定時制の高校に通っていました。しかも芸能プロダクションに入ったのも同時期だというから驚き。現在ももうすぐ80歳とは思えない活躍ぶりですが(2017年現在)、当時から驚くべきバイタリティーの持ち主だったようです。

また、デヴィ夫人と言えば、若い頃から入れ歯をしていているのをご存知ですか?写真の時はすでにスカルノ元大統領と知り合っている頃ですが、それより以前、実は16歳でお父様がお亡くなりになった時、高校を中退して赤坂の有名クラブ「コパカバーナ」で働き始めた頃に歯をすべて抜いているんですね。

総入れ歯にした理由は、高級クラブに来るお客様の接待のため。
そう、コパカバーナというクラブは海外の政治家などいわゆるVIPが来る高級クラブでしたが、普通のクラブという側面を持ちながら、働いている女性が口や体を使ってサービスをするお店でもあったんですね。
そのため夫人はお客さんの体を傷つけないように、歯が悪いわけではないけれど全て入れ歯にしたんだそう。

当時はお父様も亡くなりお母さまは内職をしながら借金を返していたというので、どうしても高いお給料が頂ける高級なクラブで働く必要があったのかもしれませんね。
ちなみにコパカバーナでのお給料は、当時のサラリーマンの50~60倍であったというから驚きです。

程なくして夫人は働いていたクラブで当時の東日貿易社長・久保正雄さんと出会い、お店を辞めることになります。そうしてその後にスカルノ元大統領に出会い見初められ、初めは東日貿易の秘書という名目でインドネシアに渡ることになるのです。

その後日本人で初めて大統領夫人となったデヴィ・スカルノは、日本とインドネシアを繋ぐ象徴として、高度に政治的な意味を持つことになるのです。

相次いで亡くなった最愛の母・政子、弟・八曾男の存在

海外への渡航がまだ自由化されていなかった1960年代当初、日本人で初めて遠く離れたインドネシアの大統領夫人となったデヴィ夫人は、マスコミを中心に世間から注目される存在となります。

そしてその注目はやがて夫人のご家族にも向けられることに。かねてから病弱だった母・政子さんは相次ぐマスコミへの対応で心労が溜まるようになり、夫人が危篤の知らせを受けてから40日後に急死しました。

さらには悲しみに暮れる夫人に追い打ちをかけるようにして、その2日後に今度は弟の八曾男さんがガス自殺。
理由はセールスマンに全財産を騙しとられてしまったこと、そして母政子さんの死に目に会えなかったことでした。姉であるデヴィ夫人に迷惑はかけられないと警察にも相談できず、一人思い詰められての発作的なことだったそうです。

後に夫人は「この2つの出来事は、いつまでも心を離れない悲しいトラウマになっている」と語っています。それまでずっとご家族のために生きてきた夫人にとっては、他人には想像もできないような喪失感だったことでしょう。

時代に翻弄されたインドネシア時代

スカルノ元大統領と一緒に写った写真ですね。今となれば貴重な一枚と言えます。というのも、夫人が大統領夫人となり数年たった1965年にはインドネシア国内でクーデターが起こるからです。それから政権交代の後に元大統領は幽閉され、1970年に二人は死別することになります。

ちなみに娘のカリナさんを生んだ1967年(27歳当時)には夫人はすでにインドネシアから出国して日本にいたので、大統領と正式に結婚してから二人が一緒にいられたのは僅か数年のことでした。

しかし、ここで肩を落として部屋で毎日悲観に暮れてばかりいるような夫人ではありません。
その後の彼女は第3夫人であったこと、スカルノ元大統領とは政敵であったスハルトが政権を握ったことでインドネシアの政治とは徐々に距離を置くことになります。

しかし、その後フランスで暮らしていた際には「社交界の華」と呼ばれ多くの著名人らと関係を持ち、1980年にはインドネシアに戻り自分自身でも石油関連事業を立ち上げることで今の富の礎を築いたのです。

デヴィ夫人は何故北朝鮮を贔屓するの!? 擁護する理由とは!?

デヴィ夫人は2017年初頭にあるテレビ番組の中で、多数の出演者が真逆の意見を言うのに関わらず、ハッキリと「北朝鮮が好きだ」という発言をしています。

理由としては、過去に大統領夫人とうい立場で北朝鮮を訪れたこと、北朝鮮が主催する式典に出席を重ねていることもあるよう。

国家の現状を自分の目で見た上で、日本のメディアは過激に報道し過ぎている、というのが彼女の意見。日本人拉致事件や人工衛星のテスト問題には北朝鮮擁護の立場から発言を続けています。

しかし、非常に繊細な問題なので番組終了後には多くの視聴者から非難が殺到したと言います。ただ、彼女によれば「拉致は許されないことでありこれを肯定したはことない。そういったコメントをする人達はブログをきちんと読んでおらず、心外だ。」ということ。

拉致に関しては傷ついた人が大勢いるので何とも言えませんが、国際感覚に優れている彼女だからこそ、人とは違ったものが見えているということでしょうか。どちらにしても、自分の意見をはっきり言う姿勢は崩したことがないようですね。

また、2013年に行われた「朝鮮学校はずしにNO! すべての子どもたちに学ぶ権利を! 3.31全国集会&パレード」では、在日朝鮮人への安倍総理の政策に疑問と義憤の念で溢れていると発言しています。

北朝鮮に対しての発言では批判を浴びてしまった彼女ですが、ご自身が代表を務めるNPO法人・ESRTH AID SOCIETY(アースエイドソサエティ)では、「あらゆる命に思いやりを持ち、民族や宗教・歴史に関わらずに兄弟愛で結ばれる」というスローガンのもと、現在までに様々な活動をしています。

一例としては世界各国の団体への人道的支援、動物愛護、災害援助など。個人的にも国際環境計画にも寄付を送っており、国家のことを語る背景にはその渦中にいる国民を思っての感情があるのかもしれません。

デヴィ夫人に最愛の娘との確執が!?

デヴィ夫人の娘、カリナ・スカルノの略歴

・スカルノ元インドネシア大統領の第8子として、デヴィ・スカルノとの間に生まれる。
・1967年3月生まれ
・日本生まれ、フランス・パリ育ち。
・日本でテレビリポーターとして仕事をしていたが、渡米。
・その後2005年に金融マンであるフレデリック・シーガスと結婚。

娘のカリナさんもデヴィ夫人に似て、とてもお綺麗な方ですね。カリナさんはスカルノ元大統領の第8子として誕生しました。

しかし、今でこそ夫人のために誕生日パーティーを開いたり、孫のキラン君を介した交流があるカリナさんですが、幼い頃のカリナさんにとって夫人との関係は、決して彼女が望む親子関係ではなかったようです。

というのも、日本で生まれたカリナさんですが、母であるデヴィ夫人に連れられて生まれて間もなくフランスに渡った後のこと。カリナさんが14歳の頃、デヴィ夫人は娘を残してひとりインドネシアに戻ってしまうのです。どうやら金策のための一時帰国であったようですが、これがまだ思春期だったカリナさんの目には「母に捨てられた」と映ってしまったのだとか。

ただ、孫のキラン君が生まれてからの現在では母娘のわだかまりも解けて、良好な関係に戻っているということです。

孫のキラン君はデヴィ夫人似の美形

2017年現在で10歳になる孫のキラン君ですが、名前の由来はサンスクリット語で「光の輝き」と言う意味なんだそう。まさしくイケメンに相応しい名前ですね。
何でも、一部では若い頃のレオナルド・ディカプリオやリバー・フェニックスに負けないくらいのイケメンだと大人気のようです。

さらに驚くべきなのはその多彩な才能。
10歳ですでに英語、インドネシア語、オランダ語、フランス語など4か国語を話す秀才なんだとか。

また2017年現在では、将来のためにも寄宿学校に入学することが決まっているんだとか。イギリスの寄宿学校へは各学期から入学が可能なようですが、キラン君の場合は明らかにされていません。デヴィ夫人も将来はイートンやオックスフォードなど名門大学に通い学んでほしいと、今から期待しているようです。

これは4歳当時のキラン君ですね。まだあどけなさが残っています。横に寄り添う婦人もテレビではあまり見ない、優しい表情をしているように思います。

また、夫人言わく生後一か月で初めてキラン君と会った時にはあまりの目力の強さに「彼の目は赤ちゃんのものではない」と心底驚いたんだそう。

Kiranが生後1ヵ月位の時、ロンドンで初めて会った時の私は驚きを隠せませんでした。それは彼の目が赤ちゃんの目ではなかったからです。

例えるなら古典絵画のイエズス・キリストの目のようだったのです。

お母さまとのツーショット写真。こうして親子で並ぶとデヴィ夫人からの美形の遺伝子が色濃く伝わっていることが分かります。

まとめ

デヴィ夫人と言えば、歯に衣着せぬ毒舌タレントとしての印象が強いのですが、その背景にはご自身の努力や苦労、人としての確かな芯が通っているように感じます。極貧時代から欧州の社交界での活躍まで、非常にアグレッシブな半生を過ごした方だと言えますね。

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