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83歳をお迎えになられた天皇陛下 明仁様

ご無事に、83歳の誕生日をお迎えになられた天皇陛下。23日に皇居で記者会見に臨まれ、お言葉を述べ、今年一年を振り返りました。
「生前退位」という言葉が一時期世間を騒がせていましたが、「生前」という言葉を使うこと自体が不敬のように感じますね。こうして、ご無事に誕生日をお迎えになられたことを本当におめでたく思います。

天皇陛下のお言葉【記者会見動画】

83歳の天皇誕生日 陛下がお言葉述べられる(16/12/23) - YouTube

出典:YouTube

この会見動画の中では8月の「お気持ち表明」について語られております。

記者会見の内容の全文は以下のようになっております。

 ことし1年を振り返ると、まず挙げられるのが、1月末、国交正常化60周年に当たり、皇后と共にフィリピンを訪問したことです。アキノ大統領の心のこもった接遇を受け、また、訪れた各地でフィリピン国民から温かく迎えられました。私が昭和天皇の名代として、初めてフィリピンを訪問してから、54年近くの歳月が経っていました。この前回の訪問の折には、まだ、対日感情が厳しい状況にあると聞いていましたが、空港に到着した私どもを、タラップの下で当時のマカパガル大統領夫妻が笑顔で迎えてくださったことが、懐かしく思い出されました。

 今回の滞在中に、近年訪日したフィリピン人留学生や研修生と会う機会を持ち、また、やがて日本で看護師・介護福祉士になることを目指して、日本語研修に取り組んでいるフィリピンの人たちの様子に触れながら、この54年の間に、両国関係が大きく進展してきたことを、うれしく感じました。

 両国の今日の友好関係は、先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人、日本人の犠牲の上に、長い年月を経て築かれてきました。このたびの訪問において、こうした戦没者の霊の鎮まるそれぞれの場を訪ね、冥福を祈る機会を得たことは、有り難いことでした。また、戦後長く苦難の日々を送ってきた日系2世の人たちに会う機会を得たことも、私どもにとり非常に感慨深いことでした。

 今後とも両国の友好関係がさらに深まることを祈っています。
 東日本大震災が発生してから5年を超えました。3月には、福島県、宮城県の被災地、そして9月には岩手県の被災地を訪問し、復興へ向けた努力の歩みとともに、未だ困難な状況が残されている実情を見ました。その中で岩手県大槌町では、19年前に滞在した宿に泊まりましたが、当時、はまぎくの花を見ながら歩いたすぐ前の海岸が、地震で海面下に沈んで消えてしまっていることを知り、自然の力の大きさ、怖さをしみじみと思いました。

 この5年間、皆が協力して復興の努力を積み重ね、多くの成果がもたらされてきました。しかし同時に、今なお多くの人が困難をしのんでおり、この人々が、1日も早く日常を取り戻せるよう、国民皆が寄り添い、協力していくことが必要と感じます。
 4月には熊本地震が発生しました。14日夜の地震で、多くの被害が出ましたが、16日未明に本震が発生し、さらに大きな被害が出ました。その後も長く余震が続き、人々の不安はいかばかりであったかと思います。

 5月に現地を訪れましたが、被害の大きさに胸を痛めるとともに、皆が協力し合って困難を乗り越えようと取り組んでいる姿に、心を打たれました。

 ことしはさらに8月末に台風10号による大雨が岩手県と北海道を襲い、その中で高齢者グループホームの人たちを含め、多くの人が犠牲になったことも痛ましいことでした。

 このような災害に当たり、近年、個人やさまざまな団体と共に、各地の県や市町村などの自治体が、被災地への支援の手を差し伸べ、さらにそれを契機として、全国でさまざまな地域間の交流が行われるようになってきていることを、うれしく思っています。
 8月には、天皇としてのみずからの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け、おのおのの立場で親身に考えてくれていることに、深く感謝しています。
 8月から9月にかけて、リオデジャネイロでオリンピックとパラリンピックが開催されました。時差があったこともあり、毎朝テレビで、日本人選手の活躍する姿が見られたことは、楽しいことでした。オリンピックと同様に、パラリンピックにも多くの人々の関心が寄せられていることをうれしく思いました。
 10月中旬にタイのプミポン国王陛下が崩御になりました。昭和38年に国賓として訪日された時に初めてお目に掛かり、その翌年に、昭和天皇の名代として、皇后と共にタイを訪問し、国王王妃両陛下に温かく迎えていただき、チェンマイなど、タイの地方にも御案内いただきました。即位60周年のお祝いに参列したことを始め、親しく交流を重ねてきた日々のことが、懐かしく思い出されます。
 10月下旬には、三笠宮崇仁親王が薨去になりました。ことしの一般参賀の時には、手を振って人々に応えていらしたことが思い起こされます。戦争を経験された皇族であり、そのお話をうかがえたことは意義深いことでした。
 11月中旬には、私的旅行として長野県阿智村に行き、満蒙開拓平和記念館を訪れました。記念館では、旧満州から引き揚げてきた人たちから話を聞き、満蒙開拓に携わった人々の、厳しい経験への理解を深めることができました。

 また、その際訪れた飯田市では、昭和22年の大火で、市の中心部のほぼ3分の2が焼失しています。その復興に当たり、延焼を防ぐよう区画整理をし、広い防火帯道路を造り、その道路には復興のシンボルとして、当時の中学生がりんごの木を植えた話を聞きました。昭和20年代という戦後間もないその時期に、災害復興を機に、前よりさらによいものを作るという、近年で言う「ビルド・バック・ベター」がすでに実行されていたことを知りました。
 12月には、長年にわたるオートファジーの研究で、大隅博士がノーベル賞を受賞されました。冬のスウェーデンで、忙しい1週間を過ごされた博士が、今は十分な休養をとられ、再びみずからが望まれているような、静かな研究生活に戻ることができることを願っています。

 年の瀬が近づき、この1年を振り返るとともに、来年が人々にとってよい年となるよう願っています。

東日本大震災、熊本での震災、オリンピックやパラリンピックなど、今年の大きな出来事について振り返ってお言葉を述べています。

Twitter上でのお祝いの言葉

様々なお祝いの言葉がありますね。ひと昔前だったらありえないようなものもありますが、天皇陛下のあり方も戦後から長い時を経て変わってきたのでしょうか。
しかし、敬い方が変われど、国民が天皇陛下を慕う気持ちは変わっていないように感じます。

振り返る天皇陛下の歴史

天皇陛下の歴史を、逸話と共に振り返っていきたいと思います。

銀ブラ事件

学生時代(学習院高等科3年の試験が終わった日)、学友である橋本明(橋本龍太郎の従兄弟)に「銀座に行きたい」と相談し、学友が「いつがいいか?」と尋ねると「今日がいい」と答えた。「一人ではなくもう一人連れていこう」と提案し、承諾(もう一人は千家家の千家崇彦)。新任だった東宮侍従濱尾実など仕えている周りの人間を「今宵、殿下を目白の方にご案内したい」など騙して抜け出すことに成功し、3人で銀座をぶらついた。このとき銀座4丁目あたりで慶應ボーイ4人と出会い、慶應ボーイは「殿下こんばんは」と挨拶したという。高級喫茶店「花馬車」で橋本の彼女と合流し、皆でお金を出し合い、一杯99円のコーヒーを飲み、洋菓子屋「コロンバン」でアップルパイと紅茶を楽しんだり、満喫したようだが、当然ながらすぐに事件は発覚。大騒ぎになり、居場所を突き止められると、銀座に警察官が20 - 30メートル置きに配置されてしまい、これ以上散策ができなくなり終了した。また、連れ出した学友は警察と皇室関係者にこっぴどく叱られた。これが有名な「銀ブラ事件」である。

天皇陛下ともなると友達と街に出て遊ぶのにも一苦労ですね。その他にも学校内の権力闘争に巻き込まれたりと、天皇陛下ならではの学生時代の苦悩が多々あったようです。

学習院大学中退

半年にわたって外遊した結果、単位不足で進級できず留年を回避するため、学習院大学政治学科を中退し聴講生として大学に残った。聴講生となってからはクラブ活動にも原則として参加できなかった[48]。このため、最終学歴は「学習院大学教育ご終了」(宮内庁ウェブサイトに拠る)としている。

大学を卒業せずに中退していたのは意外でしたね。やはり、公務と学問の両立は難しいのですね。しかし、その後も学問お続けになられ日本を代表する魚類学者となりました。
京都大学名誉教授の梅棹忠夫は「この前、皇太子殿下にご進講に行った。皇太子殿下の植物学に対する造詣はたいしたもの。立派に東大、京大教授が務まる。帝としてはどうか知らないが、学者としては一流だ」と陛下の知識の深さを高く評価していたそうです。

ブルーギルを国内に初めて持ち込む

1960年(昭和35年)にシカゴ市長により寄贈された、ミシシッピ川水系原産のブルーギルを皇太子が日本に持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈した。これは当時の貧しい食糧事情を思ってのことであったが、ブルーギルは水生昆虫や魚卵・仔稚魚を捕食して日本固有の生態系を破壊するものであったため、後に「ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈したものであり、当時食用魚としての期待が大きく養殖が開始されましたが、今このような結果になったことに心を痛めています」と異例の(自己批判を意味する)発言をしている[49]。

実は外来種のブルーギルを国内に持ち込み生態系を破壊してしまった陛下。もちろん悪気などはなく、貧しい食糧事情をなんとかしたいという優しさと、魚類学者としての探求心によるものです。

計画停電

皇居がある千代田区は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う計画停電の対象外地域であったが、「国民と困難を分かち合いたい」とする天皇の意向により、皇居は停電時間に合わせ電源を落とした[60]。計画停電の実施が終了した後もこの「自主停電」は続けたという[61]。

天皇陛下の国民を思う気持ちがわかるエピソードですね。陛下は、東日本大震災に関する「おことば」を多く残しており、震災に対して特別な思いがあるように感じます。

国民に愛される天皇陛下

2011年7月29日から8月10日、アメリカの調査会社GfKとAP通信が、日本全国の成人1000人を対象に電話で行った世論調査では、各国の元首や首脳についての設問で、天皇は「好き」を70%獲得し、オバマ大統領(同41%)などを大幅に超えて1位であった[62]。

天皇陛下は国民に本当に愛されています。これも陛下の国民への愛が浸透している証なのでしょう。これからもそんな陛下のご健勝をお祈り申し上げます。

学者としての天皇陛下

魚類学者としても知られ、ハゼの分類学的研究者である。日本魚類学会に属して自らの研究に関して、28編の論文を同学会誌に発表している。1992年(平成4年)には『Science』誌に”Early cultivators of science in Japan”という題で寄稿している[9]。また2000年(平成12年)、2008年(平成20年)、2016年(平成28年)には、日本国外の雑誌『Gene』に第一著者として論文が掲載されている[10][11][12]。

学者としても造詣の深い天皇陛下。魚類学者としても数々の功績を残しています。陛下の専門であるハゼの中には、陛下の名前を取り「アキヒト属」と分類されているものもいるそうです。

まとめ

これほどまでに国民に愛され、学問への造詣の深い、君主はいないのではないでしょうか。
これからも、皆さんで天皇陛下のご健勝とご多幸をお祈り続けましょう。
謹んで御誕生日のお祝いを申し上げます。

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